新国立劇場で「阿呆浪士」を観劇。
正直そんなに期待値は高くなかった。
これまでも何度か上演されてきた演目だそうだからきっと面白いんだろう、程度で。
結果:最高に面白い
町人・八がひょんなことから赤穂浪士の血判状を手にすることで、
嘘に塗り固められた赤穂浪士人生が始まってしまう・・
ただのコメディとナメてた。
主人公が江戸っ子なおかげか、全体的にお祭り騒ぎなムードでテンポも軽快。
まくし立てるようなセリフ回しは物語に加速度をつける。
初めて観た回は、圧倒されすぎて終演後にぐったりしてしまった。
阿呆とは、頭が悪いとかオツムが弱いとか、そういうことでなく、
愚直であるとか真っ正直であるとか、そういうことなんだろうなと思った。
登場人物はみんな心の奥底にアツい志がある。いかに生きるか。
舞台背景の時代は身分の差がはっきりした時代。
でも身分を決めるのは生まれだけなのか。強い意志は身分を越えるのか。
武士の心に自信が持てないから侍辞める、
覚悟があるから代わりに侍になる。
すべては心の持ちようなんだろうと思った。気持ちの強さは立派な原動力になる。
町人だから侍には逆らえない。だから尊敬するようにするしかない、横暴も認めるしかない。侍は特別な存在なのだと。
それなのに「武士の心に自信が持てないから討ち入り辞める」、そんな勝手があるのか。
だったら俺がやってやらあ!俺のほうが立派な侍だ!!
町人の魚屋・八が侍・大石内蔵助に啖呵を切る場面。
八がこれまで募らせた不満と江戸っ子の気概が爆発したシーンを境に、それぞれが自分の本音を見つめだす。
とても好きな場面だ。啖呵の切り方がお見事だった。
町人と侍。
嘘と正直。
本音と建前。
対比の構造で物語は進行する。
それぞれが思いがけない葛藤を抱える中、最後はみんな心に正直にあっぱれ花を咲かせるのだ。
「阿呆浪士」とは赤穂浪士のもじりなので、結末もなんだかんだ赤穂浪士と同じ道を辿ることになる。
元の忠臣蔵もそうだが、最後は登場人物の大半が居なくなる物語なのに、観劇後は晴れ晴れとした気持ちになるのは不思議だ。
やはり決意をつらぬき通して最期の時を迎えることに華々しさを感じるのだろうか。
劇中のセリフに「花火の見事な散りざまに煽られて」という表現が出てくるが、みんなそれぞれが大なり小なり不満・鬱憤・憤りを感じるなかで、何があっても曲がらない確固たる意志をもって散る姿に憧れスカッとする。いわばヒーロー。
そういう美学はどの時代の人でも共通のものなんだろう。
でもこれは「忠義」(という建前)ではなく、自分の心に真っ正直に向き合った話。だからより晴れ晴れとした気持ちになるのかもしれない。
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